コムコ一筋で定年を迎えました。
1982年(昭和57年)4月に新卒で入社しました。
当時コムコは50人程度の会社で、そこから10年で300人となってバブルが崩壊し150人に減ったりと激動の36年間でした。
当時はインターンシップという言葉も無く、禁煙・パワハラ・セクハラと言う概念も無いような時代でした。
私は大学4年になる時に受講する授業を間違えてしまい、単位不足で1年留年となり大学5年目に就職活動となりました。
当時就職は売り手市場だったのか買い手市場だったのか良く覚えておりません。
リクルートの就職情報誌を購入してコムコを知り就職しました。
大学時代はバイトに明け暮れ、その資金で車購入・スキー・サーフィンと勉学以外に力を注いでおりました。その影響もあって卒業単位ギリギリの想定だったのに、授業の選択を一つ間違えての留年です。
中学生まではどちらかと言うと算数・理科が得意で、国語・英語・社会が苦手でしたので、将来大学は理工系の学部に行くのかな~と漠然と思っていました。
しかし、高校に進学してから諸般の事情により少々不本意でありましたが大学の文科系に進む事となってしまいました。
よって就職は文科系ですので、事務系・営業系などの仕事と言う事になりますが、事務の仕事は性に合いませんし営業系はバイトで飛込みセールスの経験をしており自分には無理と感じていました。
これでは働くとこ無いじゃん! という事になってしまうので考えた訳ですね、今後無くならない仕事で出来れば将来性があって文科系でも採用してくれる仕事は無いのかと・・・
少々長くなってしまいましたが、そんな感じでこの業界を選んだ次第です。
入社してわかりましたがこの業界は、プログラムを作る作業が全体の3割程度しかないのです。商談対応・設計・環境構築・テストなど、プログラミング以外の仕事の比重が多くなってきています。コミュニケーションや文書能力もすごく大事です。
なので、文科系の方もおりますのでコンピュータに興味があれば勉強すれば務まります。
当時はまだコンピュータが大変高価な時代でしたが、今後コンピュータは無くならないし、どんどん進化するだろうと分からないなりに、ぼんくら大学生が考えたんですね。でも基本的には当たっていましたね。
理工系出身の人達に混ざって仕事が大丈夫だろうか心配はありました。
でも定年まで働きましたから何とかなりましたね。
入社し3ヶ月の教育を受けて配属でしたが、配属先を聞いてびっくりです。
今ではあり得ませんが諸般の事情により配属は、某医療機器メーカーの第一線の営業部への客先常駐作業でした。
もちろん私の仕事も営業です。
コムコからは私一人です。仕事を教えてくれるのも常駐先の先輩営業社員です。
ただ、一応システム関係の営業でコムコがそのシステムに絡んではいました。
とにかく当時の私としては困惑いたしました。システムの開発をする為にコムコに入社したのに一切開発の無い他社の営業部って、なに?
冗談でしょ_| ̄|○
でも石の上にも3年と言うことわざを思い出し頑張りました。結果的には2年間そこに居ましたが結構楽しくやりがいのある仕事でした。
当時九州や関西など出張が多く、初めて飛行機に乗ったり新幹線に乗ったり現地のお偉い方達と夜な夜な繁華街に出かけたりと、ドラマに出てくるような昭和のビジネスマンをしてまいりました。
結構ここの経験はその後のコムコでの仕事には役に立ったと思っています。
その後は客先常駐も無くずっと社内での受託開発に従事しております。
一応補足しますが、この36年間で入社直後に私のような営業要員としての客先常駐作業は、コムコでは聞いたことがありませんので、私だけと思います。通常システム開発に関わる仕事に就けますのでご心配なく。
この営業の仕事をした事により、私が大学生の時に抱いていた営業職とは違ういろいろな営業の形があるのを初めて知りました。
その後システムの開発も経験しリーダーとなり、管理職になり、今年の6月に定年となりました。
今思えばあっと言う間でした。
でも入社当時は定年の事など想像もできませんでした。あまりにも遠い世界で、いいとこ5年先か10年先くらいの事しか考えられませんでした。
大変な窮地に追い込まれたり、ラブロマンスなどもあったり、いろいろな事が36年間にはありましたが今は良い思い出です。
と、なんだか退職したような雰囲気になってきましたが再雇用という事で、まだまだ頑張って行こうと思っています。若い方はこれから辛い事も楽しいことも沢山あると思いますが、良い思い出になるよう仕事も遊びも全力を尽くして頑張ってほしいと思います。
追伸、写真のカエルは家庭菜園のトマトの茎にちょこんと2匹並んでいて、逃げないので撮った写真です。
1年くらい前からミツバチも飼い始めましたので、そのうちそちらの話もブログに載せますね。
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