こんにちは!
1986年に神奈川大学工学部の今は無き工業経営学科を卒業しました現役システムエンジニアです。
当時の神大は白楽キャンパスしかなく、横浜なのに地味な印象しかありませんでした。工学部の中の文系と言われていた工業経営では、実験といった類の教科は少なく座学や講義がメインでした。
その中でも印象的だったのが統計学と人間工学です。この2つについて形は変わりつつも今でも意識することが多いです。
授業以外では、当時東白楽にあった映画館やボーリング場にしばしば通っていました。今はマンションになっていましたが…
1980年前半はバブル景気の立ち上がりで、研究室から大手メーカーへ何人も推薦というか、青田買いのような状態が起きていました。私もメーカーの会社説明会にも足を運んではいましたが、自分が仕事として一生関わりたいことはなんだろうといつも考えていました。その頃であれば大手に入社すれば一生生活安泰という感じもあり、理系はメーカー、文系は銀行へと就職先を決めていきます。
ちょっとひねくれものである私は大手に入って確実な安定というのは、しっくりきませんでした。当時バイトで塾講師をやっており、そのままバイトから正式に講師にならないかという話をいただいていました。確かに人に何かを教えて、成長してもらえることはとても達成感のあることでした。
そしてもう一つの選択肢として、今後コンピュータ必須時代がくるであろうということでシステム開発会社を検討対象としました。大手でなく小さい会社を選択したのは、ある意味塾講師と同じで目に見える達成感を求めたためです。
メーカーでも当然達成感は得られますが、リターンが大きい分関わる割合が低いのではと考えていました。
複数のシステム開発会社からコムコを選んだのは、正直偶然でしかなかったです。
さて話は現在に移ります。
20代30代
プログラマやシステム設計を主に行ってきました。
40代
管理作業も増えてきましたが、それでも現場で開発を継続してきました。
50代
今はどちらかと言えば管理作業から外れています。開発は継続し、それ以外には新入社員教育に関わっています。入社する際に迷った教育に関する仕事を今行えるようになったわけです。
昔からある一般的なイメージでは30代、40代になるとプログラミングするのは無理なのでは、ということが言われています。これは事実であり、外れてもいます。
どんな仕事にも適性があり、向いている人は20代からでも一人で何でもこなせるようになります。不向きであれば40代と言わず若いうちから伸び悩みます。
しかし、システム開発はプログラミングがすべてではありません!
他にお客様業務の理解や調整など、仕事は多岐にわたっています。
このあたりの仕事シフトの自由度の高さは、コムコが規模的に大きすぎないメリットと言えます。
まずはご自身の目で、システム開発をする会社の社員がどんなことをするのかを確認してください。
コンピュータは苦手、プログラミングなんてやったことはない、といって選択肢を狭めるのはとても損をしています。
今もっとも企業選択に時間をさけるわけですから、時間と手間を惜しまないでください。
最後になりますが、、、
今現在、神大と言えば箱根駅伝。頑張れ、神大!
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